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塚崎の獅子舞 ~香取神社~

2014年11月21日 15:22

塚崎の獅子舞(茨城県の指定無形文化財~昭和35年3月指定)

 

塚崎の獅子舞は、地元では「オシシサマ、オシッサマ」と呼ばれています。

塚崎の香取神社(*1)の祭礼の際に五穀豊穣、天下太平を祈願して斎庭ゆにわ(*2)で舞いを奉納するものです。祭礼は毎年4月、7月、11月の15日に開かれます。

 

この獅子舞を行う集まりを「獅子講」と言います。獅子舞の起源は定かではありませんが、古い記録としては嘉永元年(1848年)9月と日付の入った御獅子講中おししこうちゅう人別改帳にんべつあらためちょう

」(※3)があります。この記録の中には、香取神社の祭礼日と定められた日には講中の全員が集まり、仁義じんぎれいを守り祭礼を勤めるべき事など多くの約束事、文末には45名の役柄も記されています。

 獅子講はこの土地の長男(若人から老人にいたるまで)のみで結成された特殊な集団です(現在はその限りではありません)。彼らは礼節を守り、厳格なしきたりと格式を伝承し、祭礼に獅子舞を奉納しています。

 獅子舞は3人がそれぞれ、三頭の御獅子(男獅子・中獅子・女獅子)に扮します。

祭礼当日、舞手は先ず神井戸で体を清め、親方や世話人の介添えを得て支度をします。

(木綿の単衣に袴をつけ、素足にわらじを履いて前に小太鼓を結び付けます)神酒を召して獅子を被り、境内地に御獅子が安置されている八龍神社、香取神社の斎庭(ゆにわ)で「せきもんどりの舞」「うずめの舞」を奉納します。

郷愁を誘う篠笛の音色と、地を這うように大地を力強く踏みしめる舞いは人々を魅了し、いにしえへと誘います。

 

 この三頭の獅子は、夫婦と兄弟で家庭の輪を象徴しています。遠い昔から「家庭というものは、こうあって欲しい」という願いをこの獅子舞に込め、家庭の和を教え導いてきたのです。この地を離れず生きる長男のみに許された舞いであることにも意味があるのかもしれません。

 

舞い方は、他に「はねこみ」「ひら」「女獅子かくし」「梵天かがり」「橋がかり」「笹がかり」「天水こぼし」があります。

「天水こぼし」は雨乞いの舞いとして、かつては近隣の村々に出掛けて奉納しました。享保2年(1717年)、当時の関宿城主久世重之助(or 久世大和守睴之?)の依頼により「雨乞い」の舞いを奉納し、みごとに雨を降らせました。その褒章として井桁本の紋章染の「風がけ」と朱塗りの九升樽一対が送られ、現在も赤樽1本が香取神社に納められています。

 

 

 

 長い歴史の中には、命がけの雨乞いの舞い、大洪水や獅子堂の火災などがありましたが、それら幾多の試練をこえ、今に継がれています。そして、この遥かな道のりには大勢の先人たちの思いがあります。時が流れ、人々の暮らしが移り変った今も「塚崎の獅子舞」を懸命に守っていこうとする若い人達がいます。小学校・中学校・地域の人々の理解と協力もあり、これからも「五穀豊穣・天下泰平」そして、地域や家庭の和を願って獅子舞は奉納されます。

 

 

※1香取神社・・天正14年(1586年)「付近の小祠を合祠せり(地方紙、古文誌等の文献による)」とあり、参道の長い杉木立が神社の古さを偲ばせます。本殿の左右に建つ石灯籠には「元禄三年五月十五日」(1690年)と刻まれてあり、古くからこの地域の人々に守られてきました。

※2斎庭ゆにわ・・斎(い)み清めた所。祭りの庭

(※3)御獅子講中人別改帳

塚崎獅子舞保存会

問合せ先 境町塚崎2876

☎ 0280-87-1443


 

世話役の大竹さん ありがとうございました!

無形文化財“塚崎の獅子舞”が境町広報誌1月号の表紙を華やかに飾りました。     

この獅子舞は四月・七月・十一月の各十五日に塚崎香取神社祭礼で五穀豊穣・天下泰平・家庭内の和を祈願する奉納舞です。江戸末期の記録が残されているようで、昭和四十年代頃までは農家の後を継ぐ長男のみが舞手になれる厳しいしきたりで受け継がれてきた伝統芸能です。その後の産業構造の変化とともに舞手は大人から子供たちだけに移り、現在に至っておりますが、少子化で後継者不足が心配されているようです。

そこで保存会は大人の舞手と笛を募り、往時の舞を復活させようと立ち上がりました。現在、有志十数名が笛にあわせて舞う獅子三頭の勇壮で地を這うような迫力ある舞を目指して稽古に励んでいます。伝統を担うことの重みが伝わってきます。

 

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