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私のお母さん ~和田 澄子さん~

2019年12月01日 22:45

「長いこと世話になったな。」襲いかかる水が、土砂が、大切な人の命を飲み込んだ台風19号。亡くなった方の最後の言葉を載せた新聞記事を読んで私は涙が止まらなかった。

わたしの母も身体の不自由な父をどうやって避難させたらいいのかいつも考えていた。その父も3年前に満93才で他界した。

 忘れもしない、私が小学4年生の時。父は車で走行中に脳溢血で意識不明になった。命は助かったが37才の若さで半身不随になった。母33才、子ども4人。長女、次女、3女、末っ子長男は1歳だった。

父が亡くなって3年。やっと心の整理もできて、母に尋ねると「子ども4人をどう育てていったらいいのか無我夢中だったよ。」という。

「父さんが生きていてくれたからよかったよ。」

いつも明るく父を支え、子ども達を優しく育ててくれた。56年間父の介護をしながらいつも一緒に仕事に行く。どんなにつらくても頑張ってきた女。おかげ様で子どもたちは、すくすくと育った。

長女の私は、満69才になった。次男に障害の子どもを授かった。生後1才6ヶ月に熱性痙攣を起こして病弱だった。子育てが大変だったが、愛情を込めて育ててきた。その息子のおかげで、現在障害児童の相談や放課後支援、日中一時支援、長期休みに預る「放課後等ディサービス」を立ち上げ、今年で15年の月日が経った。

 最近、強度障害の子どもの支援が重要だ。急に苛立ちパニックがおきて、自傷行為、他傷行為などコントロール出来なくなって暴れてしまう。その子達の気持ちを受け止め、周りの子どもたちに落ち着いて利用できるように提供している。

今朝も5時起床、母にお弁当を届け、安否確認する。そして職場に行く。母親の元気な様子をみるとホッとして仕事に専念できる。ご近所の皆さんに身守り支えられて助かっている。

 お母さん、元気で長生きしてください。

お母さんに感謝する毎日である。

 

 

和田さんの略歴 昭和46年聖徳栄養短期大学卒業後、千葉県野田給食センターに栄養士として勤務。その後、境町等の生涯学習非常勤講師などを経て、平成17年から特定非営利活動法人メダカの会「放課等ディサービス プーさんの家」の副理事長・管理者・事務局長。また、茨城知的障害者相談員連絡協議会副会長、境町知的障害者相談員などいくつもの社会活動を行っている。

 

「きんもくせい」の発刊当初から和田さんには大変お世話になりました。賛助会員になっていただき、何度も取材に協力をしていただきました。

プーさんの家のイベントに招待していただいたり、お料理のレシピお願いしたりと・・・助けていただきました!本当にありがとうございました

是非、こちらの記事もごらんください→ 児童デイサービス「プーさんの家~和田澄子さん~

 

 

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