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境町観光協会会長 ~ 野口富太郎氏 ~

2015年02月22日 22:44

2015年1月26日 @茶太郎’s cafe.やまの

野口徳太郎商店代表としてはお茶の新しい可能性について。また、観光協会会長としては数百年に一度の好機とも言える今、観光事業を大胆に改革し、推し進める計画など情熱的に語って下さいました。<2015年1月26日>

 

Q:創業はいつですか?

A:(野口熊太郎氏が)明治7年創業。141年の老舗です。(富太郎氏は6代目)屋号は「山ニの→やまの」。

120年ほど前に新吉町から現在地へ移転しました。古い建物だが3.11の震災でも壁が割れ、瓦が落ちたが大きな被害は無かった。

この辺りは沼地が多く、「まこも」という藻が自生していて、それを肥料にして寛永年間(380年前)に土壌づくりから始めた。それがお茶の栽培に適していた。

 

Q:新しいお茶事業の展開を考えていらっしゃるとお聞きしましたが・・・

A:「新しいお茶文化を創造しよう」がコンセプトです。

お茶の葉の価格(価値)が年々落ちています。(1/3ほど)日本茶の生産自体が危うい状況下でどうしたら守れるのかと考えました。市場を拡大する事と新しいシェアを開拓することが重要と考えて、すでにある「お茶を飲む」から「お茶を食べる」に方向転換しました。粉末にしてスイーツに転化する、茶葉料理を研究して提供する、茶葉を色んな形で消化することによってお茶の価値を高めて行こうと考えました。

 

 

Qそれは貴店独自の展開ですか?それとも茨城県、あるいは日本の製茶業全般的にそうなのですか?

A:うち独自のものです。お茶業界は全般的に保守的なので(笑)。

(営業で)全国のデパートなどを回って、(さしま茶には)ブランドがないという事に気付きました。茶葉の市場では対抗できないので加工して別の形に特化していくことを生業にしようと考え、第一段階として20年前に茶葉を粉末にすることを考えました。日本で初めて3社(静岡、埼玉)で「お茶の素」という商品を開発しました。

市場的には先ずリーフティ市場があってドリンク市場が台頭してきた。その真中に粉末の市場が出来て大きくなるだろうという想定のもとに僕は今までやってきました。

今でこそ粉末は皆さんにも認知してもらっていますが最初のうちは「なんだ、これ?!」と言われていました。

我々は常に改革者でなければならないです。代々続いているうち(野口熊太郎商店)では其々の代(の主)がお茶を基本にして何かしら(改革を)やっている。さて、僕の代では何ができるのかと考えて行きついたのが「パウダー」でした。

 

Q:「新しいお茶文化の創造」というコンセプトのもとにこの「茶太郎‘s café」をオープンし、境町の皆さんにお茶の新しい魅力を知っていただくということでしょうか。

A:うちは物販業なのでお茶を売るのが仕事。飲食業ではないが、「茶太郎‘s café」が情報発信基地になればと考えています。

 

Q:そのような住民発の情報提供は重要ですし、場を提供して頂くと言うのはありがたい事だと思います。

A:以前は外に目を向けていたが、3.11を契機に変わりました。原発事故による放射能汚染の問題が出てきた時にお客さんがどんどんいなくなり、売り上げも低下した時期にずっと考えました。「元々、もっと信用があれば売り上げ減が半分ですんだのでは?」、「お客様とのコミュニケーションが不足しているのではないか?」との反省から以前から計画していたcaféをお客さんのコミュニケーションの場としてオープンしました。

 

Q:境町の女性はあまり自分の意見を発しないタイプの人が多いように思いますが文化的な事には積極的に参加されますね。

A:境町の女性は他の市町村に比べて団結力があって纏まるのですよ、結構活動はしているんじゃないかな。

 

Q:若い人たちはどうでしょう?商工会や観光協会のなかで中心的に活動をしているのでしょうか。

A:していますよ。若い町長を押したのは若い人たちだから。変えて行きたいと言う思いがあったのでしょう。今、観光協会では八つの部会を作って30名位の方が積極的にボランティアで活動してくれています。コミュニケーションの場づくり、環境づくりも重要なのではないかな。

 

 

Q:境町の観光協会会長として現在の境町の商業をどのように感じていますか。

A:僕が何故、観光協会会長を引き受けたかというと・・・商売(業)を一生懸命やっても町が元気じゃないとダメなんですよ。お店はお城みたいなものですから、城下町も一緒に栄えないとだめですね。

 

 

Q:観光協会主催の「さかい新春の集い」が盛況だったそうですね。

A:「賀詞交換会」を「さかい新春の集い」と名称を改めたのですがとても盛り上がりましたよ。団体の役員さんなど430名が参加しました。会場の都合もあり一般の人までは呼べなかったのが残念ですが。境の逸品のブースが14と・・・名産を知って頂けました。

 

Q:「ふるさと納税制度」を取り入れるなど、全国的にも境町の名品を知っていただく機会は増えたと思うのですが、そのほかには何かPR的なことを考えていますか?

A:観光協会には運営委員会があって、その基幹が「ふるさと祭り」。総会の承認を得て、1年間「ふるさと祭り」の運営委員会に各種の実行委員会を立ち上げようとしている。その実行委員長が中心になって色々な企画をする。先ずその基本的な仕組みを作ろうとしている。実行委員会制にすることによって、各種23団体と組んでやりたいイベントを出来る仕組みをつくる。今年の達磨市もそれでやらせてもらった。次は圏央道の開通のプレイベント実行委員会を立ち上げる。3月に圏央道が開通するので、そのオープンイベントを企画している。「菜の花まつり」「フェスティバル」「桜のもとの音楽フェスティバル」など色んな企画をしていく。観光協会の活動としてはイベントが中心になるのでそれらのイベントをまずしっかりやること。

・高瀬舟事業の立て直しを考えている。赤字をなくす事だ。先ず、(帆を直すなど)リニューアルをする。今は一人200円頂いてで昼間動かしていただけだが、夜も舟の上でイベントをやれると考えている。例えば舟の中で30名くらいのパーティが出来るし、関宿城をバックに赤富士もきれいに見えるのでナイトクルージングもいい。その仕組みづくりをしたい。

・道の駅のリニューアルを考えている。Fiss側から道の駅へ直接いける歩道橋を作る計画もある。県との絡みもあるので簡単ではないが・・往き来出来るようにしたい。

・道の駅の中の物販やレストランは18年前からexサービス(cocacolaグループ)に運営を委託している。3月いっぱいで契約を打ち切り、4月から観光協会の直売になる。道の駅は町のアンテナショップなので境町の皆さんが活用できる仕組みを作っていきたい。道の駅を中心に展開していくことが境町にとって一番いいのかなと思う。

 

Q:そういったイベントの広報活動も重要だと思いますが・・・

A:道の駅に観光ブースを設けようと思っている。

圏央道路が(都心と)直結すると他から境町にきてもらえる機会も多くなるので、着地型観光を狙っています。

着地型というのは…これまではここ境町から例えば栃木県の日光に行くというようなパターンを東京などの旅行社が企画していた。が、そうではなく「ここにはいい観光スポットがありますよ」と境に呼びこむというやり方です。

境町の宝って案外、地元の人には見えていませんが魅力はいっぱいあるんですよ。だから我々は先ず足下を見直してそれらを発掘しています。時間はかかりますが、発掘すれば企画ができます。企画をすれば情報発信ができる。・・・と、段階を踏んで実行していきます。

※観光協会の中に「観光推進委員会」がり、メンバーが、独自に「町歩き探検隊」というfacebookを立ち上げて町の色んな情報を発信しています。1500~2000のアクセスアクセスがあります。

 

Q:これまでの町主体から住民主体の街づくりをするということですか?

A:「里山資本主義」を推奨している藻谷浩介さんの話を聞いて考え方を転換する必要があると思った。あと30年もすれば日本の人口は8000万人台になる。単に人口が減るだけではなく高齢化になる。視点を変えなくてはいけない。

商売人としてはこれまでの「売り上げを伸ばす」という考えを「売り上げは伸びない」に転換する。今までとは逆の発想をする。仕事(会社)ももっと楽しくギスギス働くのではなく人生を楽しみながら仕事が出来るよう内容に変えなくてはならない。

そう考えると境町も極端に人口が減ってきているが、1人ひとりの住民が、ふれあい、コミュニケーションを取り合えると良い町になっていくのかなと思います。

イベントも役場の「町づくり推進委員会」がやるのではなく、住民が企画・参加して、主体になり、自分たちの考えのもとにやっていくほうが良い。町は事務局として関わるという方が良い。

境町ではリーダーが若い橋本町長に代わった。変わりつつある。圏央道が開通し、日野自動車が来る、2020年のオリンピックを控えている。今が、境町にとっての最大のチャンスです。

 

 

Q:会長はおいくつですか?

A:46歳。結婚していて中3と小4の男の子どもがいる。長男は「○○太郎」、次男は「○○次郎」

 

Q:長男さんはやっぱり後継者として育てられますか?本人も認識している?

A:僕は「跡を継げ」ってずっと言われてきたが、子供には言いません。人間って。「どうせ跡を継ぐ」「跡を継いでくれる」となると進歩しないし、保守的になるのですよ。だから僕は「跡を継いでもらう」という考え方はしない。家業ではなく企業してやりたい。

 

Q:境町の若者に向けて、何か期待する事、助言などがありましたらお願いします。

A:境町は宝の島、幸の島です。(猿島は海の幸、山の幸に恵まれていて幸島とも表記された)これからは1人ひとりの行動によって必ず良くなっていきます。それくらい環境が整ってきて、数百年に一度のチャンスなのでここを逃していけない。ちょっと町の事に目を向けてもらうと色々な事が見えてくると思う。考え方一つで変えて行けるので・・・チャンスを捉えて欲しい。

 

Q:ご家庭でどのくらい家事をされていますか?

A:例えば、「皿洗いをやるよ」と言うと奥さんが嫌がる。こだわりがあるようで・・僕は一切やらない。お風呂をちょっと掃除するくらいです。

 

 

ありがとうございました。

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