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境の名所~お寺~③
2014年02月23日 23:04
第七番札所 大 悲 山 般 若 院 真言宗豊山派 境町志鳥1041
般若院は志鳥の平坦な田園のほぼ中央に広い寺域を擁し、地域の人々の心を癒す拠所として親しまれている。 ご本尊は地蔵観音、本堂の右手に朱塗りの観音堂がある。※第七札所の聖観世音菩薩はここに祀られている。 当札所の観音様は奈良時代の高僧、※行基菩薩の作と伝えられ、白木の一木造りで、長い歳月の間に両手が欠けている。このことから「手なし観音」と呼ばれている。昭和六十一年、造形の美しさと、由緒ある仏像として境町の文化財の指定を受けた。 手が無いことにあやかって、分娩の時、人手を借りずに安産する、と地域の人々に敬われている。 また、そのご利益を願って、年に2回、四月と八月の十九日二観音様へのご供養といって、地域の人たちが弁当を携え、寺に集まり、大鍋で巻繊汁を作り、観音様へ備え、一同で会食する。 当札所の観音様に伝わる縁起によると、鎌倉幕府に岡部六弥太という武将がいた。幕府の崩壊によって、奥州へ落ちのびる途中、志鳥の村長、源兵衛氏の畑に、それまで護持してきた観音様を埋めていった。 源兵衛は同じ場所だけいつも乾いているのを不思議に思い、そこを掘ってみると観音像が現れ、それを祀ったのが当札所の観音様、と伝えられている。
※札所…昔は巡礼した際、参詣した人の氏名や祈願の言葉を板に書いて打ち付けてきた。そのことから札を打ちつける所として、巡礼する寺を札所というようになった。 ※行基…和泉国(現大阪府)に生まれ、僧となり、諸国を行脚して説法をした。また、寺院の建立、道路の修理、堤防の築造、橋の架設、貯水池の設置などに努めた。聖武天皇の帰依を受けて大仏造営にあずかり、大僧正位、さらに大菩薩の号を与えられた。 |
番外番札所 関 観 音 堂 天 台 宗 境町猿山489
猿山地域のいちばん北に位置し、まわりを長井戸沼干拓地に接して関観音堂がある。 かつて当札所の近くに恵日山栄福寺があり地域の人々の菩提寺として栄えていたが、惜しくも火災のために焼失し,廃寺となった。その折、檀徒を代表していた関庄兵衛氏が寺の観音様を預かった。その後、関家では屋敷内にお堂を建てて観音様を祀り、供養を続けている。 祀られる聖観世音菩薩は天保六年に造られたと銘のある身丈四十センチの一木造りである。 観音開帳の期間中は、関家一家六軒が巡礼者への対応と供養に当っている。 近くに猿山地域の鎮守と祀る※一言主神社がある。 当社は神社としては稀なご神体の開帳を二十一年目ごとに行うしきたりをずっと継承している。 前回の平成六年の開帳に当り、三月に七日間、木造のご神体を開帳奉斎し、祭礼と共に花火などの催しを盛大に行った。 また、祀られる神は「おたみさん」と呼ばれる女神でもある、といわれ地域の人々は同じ名前をつけることは畏れ多いと、おたみという名は避けるという。 神社のすぐわきに栄福寺跡がある。そこに元治元年(1864)に地域の女人講で造立した延命観音菩薩が祀られている。開帳の期間中は、地域の人たちが交替で、参詣者への接待にあたる習わしとしている。
※番外…霊場開設以後、開創者にゆかりのある地、または札所の近くなどに開設した正規の札所以外の札所。 ※一言主神社…奈良県御所市の葛城山の神。雄略天皇が葛城山に狩りをした時、天皇と同じ姿で示現した神で、事の善悪を一言で断言できる力を持つという。。 |
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