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境の名所~お寺~妙法寺
2014年05月08日 02:07
第六番札所 妙 法 寺 真言宗豊山派 境町稲尾571
稲尾の西のはずれ、長井戸沼に張り出した舌状台地の突端に熊野神社がある。 かつてそこには第六番の札所の指定を受けた妙法寺という寺があり、熊野神社の別当寺として神仏混淆の聖域となって栄えてきた。 明治初期、神仏分離政策の影響で妙法寺は廃寺となり、今わずかに境内の石灯籠に刻まれる「奉納御宝前・別当妙法寺・文化十年」の銘によって、ありし日の寺の賑わいを察するのみである。 当札所に祀られた※千手観音菩薩は境内地に建てられる稲尾集落センターに安置され、開帳の行事も当初で行われる。 札所は台地の突端にあるだけに、眺望すこぶるよく、そこには深く息を吸いたくなるような長井戸沼干拓地の田園風景が広がっている。 この長めの素晴らしさは、室町時代の著名な紀行文『廻国雑記』に「稲尾の別当の坊にて湖水を眺めて」とある記述がそうであろうといわれている。 著者の道興は京都聖護院の門跡で、北陸、関東、東北を旅して名所旧跡の由来や様子を記録している。 札所の東隣りの台地に戦国時代の記録に残る稲尾城跡がある。天文二十三年(1554)下野の小山朝政が下総に侵攻し、柳橋城(現・古河市)を落とし稲尾に迫った。城主稲尾加賀は戦いに利なきを悟り降伏したと伝えられる。
※別当寺…神社に付属して置かれた寺院を別当寺という。政府による神仏分離政策が行われるまで、神仏混淆が一般的で、別当寺の僧による神社支配が行われていた。 ※千手観音…正しくは千手千眼観自在菩薩という。あまねく一切衆生を救うため、身に千の手と千の眼を得たいと誓って得た姿であり、千は満数で、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表している。
「猿島坂東観音札所めぐり」(山崎正巳氏著)より |
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