(一) 蛇池の語り
長田地区の大字蛇池には、香取神社の東に広がる畑地の中に周囲、約50㍍の池があり、大蛇伝説の池として知られています。
池のかたわらには「弘化三年蛇池大明神」と刻まれた小さな祠が立っています。
これが蛇池の地名のおこりとも伝えられています。
現在、池の周りはきれい整備され、四季折々の花や木々の緑も心地よいスポットですが、昔は木々が生い茂りうっそうとしていて昼間でも薄暗かったといわれています。
この蛇池には、今日まで村人に伝えられている二つの蛇池伝説があります。
(二) 二つの伝説
◆ ヘソを曲げた大蛇
村の池の端に椿の木に全長約10㍍の大きな蛇が、その椿を蛇の頭に乗せてよく昼寝をしていました。
その様子を村人はとても怖がっていました。
みかねた近くの寺の住職は恐ろしい大蛇に、
「しばらく他の場所に移ってもらいたい」と証文の代わりに「十年」と書いた水晶の玉を池に投げ入れました。
これを見て大蛇は千葉県の印旛沼に引っ越して行きました。
それから約束の十年が過ぎて、大蛇はもとの村の池に帰ってきました。
ところが、水晶玉の「十」の上に「ノ」が書き加えられて、証文の十年は千年に書き変えられていました。
大蛇は、約束が違うとおどろいたのですが、誰が書いたのかもわからず、仕方なくまた印旛沼に戻ってしまいました。
村人が大蛇を心配して、印旛沼に様子を見に行くと印旛沼は荒れるのですが、村人が帰ると静かなもとの沼に戻りました。
というお話です。
◆大蛇様
村にとても貧しい子沢山のお百姓さん夫婦がいました。
朝早くから畑仕事に出かけ、晩は村の人たちが寝静まる頃まで一所懸命に働いていたのですが、ずっと貧しい暮らしのままでした。
年の瀬になると借金取りの催促に困り果てていました。
途方に暮れたお百姓さん夫婦は思い余った末、ついに三人の娘たちを江戸に奉公に出すことにしました。
大切な愛娘三人を江戸の奉公先に置き、父親は後ろ髪を引かれる思いで家路に向かいました。
ところが、今まで見た事もない大金を手にした父親は、魔がさしたのか、江戸の町でつい遊び呆けてしまいました。
一夜明けて我にかえった時、懐の奉公金は一銭も残っていませんでした。
その頃、お百姓の家では女房が夫の帰りを今か今かと待ちわびていました。
さすがにしょげかえった顔で帰宅してきた夫に、妻が「奉公金は?」とたずねました。
夫は奉公金を全部、江戸で遊びに使ってしまったとは言えず、
「帰る途中池の傍を通りかかったら、大蛇が奉公金を全部呑みこんでしまった」と、大蛇のせいにしてしまいました。
この話を聞いた村の人たちは、何かにつけて自分に都合が悪いことは大蛇の仕業にするようになってしまいました。
池の中の大蛇は、大きな体を椿の木に横たえて、村人の全ての悪事の責任を負わされることになってしまったのです。
そんな大蛇を憐れんだ、近くの寺の正純法師(しょうじゅんほうし)は、「こんなことになってしまったのも、私の説法が足りないからだ。」と思い大蛇に、
「十年間姿を隠すことにして、村人の心が入れかわってから池に戻ってくるよう」に頼みました。
大蛇は池から姿を消しました。
その後、年月が過ぎて大蛇が元の池に戻ってきました。
しかし、村人の様子は以前とまったく変わっていなかったのです。
がっかりした大蛇は、村人を恨みながら再び姿を消してしまいました。
そののちに心を変えた村人は大蛇を憐れに思い、祠を建てて供養するようになりました。
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