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農兵隊教頭麻生万五郎の碑 (西泉田) ~境の郷土史②~

2016年02月21日 23:23

武徳碑 武徳碑

 西泉田麻生秀典氏家通り門の前に関宿藩農兵隊教頭麻生万五郎の武徳碑が建てられている。碑は大正3年(1914)に門生によって建てられたものである。

 万五郎は、現当主からみれば曾祖父に当たりますが、長男から順次家督を継いだために実際は5代前の当主ということになります。天保9年(1838)11月にこの地で生まれた。

 万五郎は、幼少の頃より無念流の免許を持つ父や祖父の影響により剣術を好み、20歳の時に武蔵国清久村(現在の久喜市)の神道無念流戸賀崎熊太郎(芳栄)の門下生となった。千辛万苦(せんしんばんく)して其の秘術を授かり、明治18年(1885)4月に免許が許されて養道軒と号した。そして屋敷内に道場を開き、大正の初めまで約300余名の門生の指導に当たった。

 幕末期ペリー来航以来、関宿藩でも勤王か佐幕か苦悩の選択がせまられ、激しい藩内抗争が続いていた。そうした中で関宿藩重臣船橋随庵の強い上申により、文久2年(1862)に老中、大目付立ち合いの上、農兵隊募集がおこなわれた。

 万五郎は、この年の25歳の時に関宿藩久世大和守(広周)より横目小頭教頭を仰付けられ、農兵隊の初代隊長に選任され訓練指導に当たった。

農兵隊は、村役人層を中心に農民の頑強な青年を選び訓練し、関宿藩の警護、治安の維持、強盗の追捕等の役割を果たした。資格は年齢17歳から45歳未満の身体剛健で身元が確実で安定した者ばかり58余名で組織された歩兵隊である。

後、明治40年(1907)2月に神道無念流皆伝一巻の皆伝書が与えられた。大正7年(1918)に81歳で没した。菩提寺は当地の西光寺である。 

(文責 郷土史家 中村正己) 

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