~ We Love Sakai ~ 


私の甲子園 ~本谷浩さん~

2018年08月18日 11:02

 夏が来て7月の声を聴き庭の(むく)槿()がうす紫の花を2,3輪つける頃となると、私の耳には高校球児の歓声が聞こえてくる。今年もまた夏の高校野球県大会が沖縄を皮切りにわが茨城でも始まるからである。

 特に今年は夏の大会100回目の記念すべき年だ。おりしも一方でサッカーのワールドカップ・ロシア大会の熱戦が繰り広げられており、若者の人気をさらっている。確かに最近の若者には野球よりもヨーロッパに起源をもつといわれるサッカーに人気があると言われて久しい。

 しかし昭和2,30年代に青春時代を過ごした私にはスポーツといえばやはり野球であった。その虜の原点は58年前、高3年時の茨城県大会における母校の躍進ぶりである。わが境高は下手投げの主戦投手を擁し選りすぐりの野手を配して打撃好調、なんと校史始まって以来とも言うべき、ベスト8まで勝ち上がってしまった。

 当時わが校には今時のブラスバンドはもちろん応援団などありはしない。3回戦、4回戦と進んでいくうちにはどうしても「即製」の応援団を送り込まざるを得なくなった。今でも鮮やかに目に焼き付いているが、野球にはとんと縁遠い英語の教師が腕を斜めに振るって応援歌を歌っていた。

 この夏もひたすら白球を追う球児の姿を求めて、私には球場通いの日が続く。  

 

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