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猿田彦大神
2015年05月25日 00:28
西泉田の香取神社境内に「猿田彦大神」のお姿を彫った石塔があります。
その由来も石塔に以下のように記されています。
〚伝説によれば天孫降臨の折現れ、神々の道案内を申し上げたのが猿田毘古であり、身の丈普通の神の二倍に達し、顔は真赤、鼻高く目は金色に輝いていた。高天原から下界への道案内を終えた後、木国伊勢に送られたとのことである。古事記によれば猿田毘古と書くのが本当でいつの間にか猿田彦となったらしい。猿田彦の神が神々の先導をつとめたことから、村の境や峠にあって悪疫を防ぎ旅たつ者の安全を守り、又、縁結びや子授けの神にもまつられている。現在の猿田彦神社は「地祭方位除け、厄除、建築・移転・開業、商工業の繁栄、豊作・豊漁の開運」の祈祷所として信仰が厚い。60年目毎にまつる庚申信仰は「邪悪をはらい、悪い虫を追い出す」ことで五穀豊穣の根本だといわれている〛
また「境の生活史」によれば
「庚申講・・庚申信仰は猿田彦信仰として地区全体の信仰である。中坪では6戸、下地坪では12戸が講中となっている。毎年の代参は栃木県足尾町の庚申山へ出かける」とあります
※庚申信仰(こうしんしんこう)とは、[中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である](wikipedia)
また、三重県伊勢市の猿田彦神社は、猿田彦大神の子孫である宇治土公家が代々宮司を務める神社で、神社での歴史・由縁では
〚神話で天孫降臨を啓行(みちひらき)された猿田彦大神は、高千穂に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を御案内した後、天宇受賣命(あめのうずめのみこと)と御一緒に本拠地である「伊勢の狭長田(さながた)五十鈴の川上」の地に戻り(中略)そのため宇治土公家はその後、神宮において代々「玉串大内人(たまぐしおおうちんど)」という特別な職に任ぜられ〛
と、あります。
こちらは、庚申信仰とは別のようです(よくはわかりませんが)
しかし、神話の猿田彦の子孫が現存しているのが驚きです。
境の個人の家の「猿田彦石塔」ですが、
情報をいただき、お訪ねした山中豆腐屋さんでは、先代が設置なさったそうです。これは商売繁盛なのでしょうか?
アライストアー近所にも「猿田彦」の石塔があるお宅がありますが、ご不在なのか、もう住んでいないのか、わかりませんでした。
浦向のお宅にある「猿田彦」は現ご主人夫婦が神社に頼んだもので、方位除け(道路から敷地内に入る位置が良くない)のようです。
境町に伝わる、大師講、太子講、観音講などと同じで西泉田にある庚申信仰も、信仰と人々の娯楽もまざったものだったのでしょうか?
個人の家にある「猿田彦」の石塔と、西泉田の「庚申信仰」とは少し違うように思いましたが、どうでしょうか?
あちこちの資料からの転載ですので、詳しくはわかりませんが、もっと詳しくご存じの方がおられましたらご一報下さいませ。
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