~ We Love Sakai ~ 


風・薫の

 

半跏(思惟像 あかあかや月 応挙館 孤高の画人   粛粲寶
円空仏について 円空仏について      

 

 

江戸時代前期の美濃国に円空は生まれた。長良川の洪水で母を亡くしたのは7歳だった。
仏門に入るが、寺の住職になることを選ばず、西は四国から北は東北、北海道まで諸国を回り、その土地の人達と心を共にしながら仏像を作り続けた。
 山を渡り修験僧として修行をしながら、滞在した村や寺で立木や木片に仏像を彫り、あるときは宿泊した宿で仏像を彫り宿賃とした。
小さな木片にノミで目鼻をつけただけのような仏像も多数残っているが、それらは貧しい村人や、飢えた子等のために彫ったのであろうか?

  洞窟に籠り修行をしていて、食べる物が無くなると川に仏像を流し、それを拾った村人が食べものを持っていったと言う逸話が残るほど人々に親しまれていた。
そんな円空の仏像は12万体あったと言われている現存しているものも5300体ある。
今でも仏像好きの人達の間では静かなブームが続いている円空仏だが、昔のみならず現代でも円空は人々の心のほころびを編んでいるのだろう。
 これほど円空仏に皆が心を動かすのは、作者である円空が生涯を通じて権力におもねることが無かったからかも知れない。円空は1695年64歳で断食をし、即身仏になった。

 

 

 

 

平成元年から平成6年まで境町に在住していた「粛粲寶(しゅく さんぽう)」という画家をご存じでしょうか?

※「粛粲(しゅくさん)(ぽう)」は明治35年新潟生まれ。上京して洋画家黒田清輝、後に日本画家小林古径に師事。帝展、院展に入選しますが、美術界の評価に苦悩し、昭和8年頃より奈良の古寺にて4年に及ぶ寄宿生活を送ったことが、自己を見つめ直すとともに、仏典・古典修養の時間となった。帰京し作家活動を再開、平成元年境町に転居。91歳で死去。(坂東郷土館ミューズ「粛粲寶作品展」パンフレットより抜粋)

 いずれの会派にも属さず「孤高の画家」とも呼ばれていた粛粲寶は極貧時代から、「真に人を泣かせ動かすものはその日の命につながるものでなくてはならぬ」と言っていたという。命がけで描く、ということだろうか?自分に厳しい人だったのだろうか?

しかし、彼の描く菩薩の高貴さ、羅漢へのユーモアとも思える画は心が穏やかになる。

 数ある良寛の絵には、枠の中には描かれてはいないが、貧しい子どもや赤子を背負う母親が良寛を囲んでいる様子が見えるようである。現在、境町には唯一の弟子と言われる中山さんもご活躍と聞く。是非、お話をお聞きしたいものです。

 

 

 

   

 

上へ↑

東京国立博物館の庭に「応挙館」という建物があります。

「応挙館」は愛知県明眼院の書院として寛保2年に建てられ、後に品川の旧三井物産創業者である益田孝邸内に移築、昭和8年に現在の位置に移されました。 

 室内の障壁画は明眼院で眼病の治療をした円山応挙が揮亳(きごう)したものであると伝えられています(現在、障壁画は複製)。

その品川の応挙館(益田邸)で、大正8年に王朝絵巻の最高傑作「佐竹本三十六歌仙」が一首ごとに切断されました。

集まっていたのは三井の益田、住友友純、生糸王原富太郎、三井合名の團琢磨等々、時の財界を代表する面々であったと言われています。

当時(今でも?)国を左右する力を持った彼らでも一人では買うことができない値段だったらしいです。   くじ引きの結果、当主である益田孝にはあまり気に入らない絵柄が当たり、たいそう機嫌を損ねたそうです。参加者の誰かが自分の当てたものと交換し、機嫌が治ったという逸話がありますが真実は如何に?

そんな歴史がある「応挙館」ですが、今でもボランティアさんによる「茶室ツアー」や「茶会」に参加すれば館内を見ることができます。

館内に立って絵巻の切断現場を想像するのも面白いですね。    (風 薫 2017.03)

 

 

 

 

あかあかや月

あかあかや あかあかあかや 

あかあかや あかあかあかや 

あかあかや月

 

鎌倉時代の僧であり、月の歌人とも呼ばれた明恵(みょうえ)上人(しょうにん)の歌です。

何故、月が赤く見えるのか?

国立天文台HPによると「地球をとりまく大気の厚さは、どこでもほぼ同じですが、地上から見ると、見る方向によって厚さが違います。

水平方向に近くなればなるほど厚くなっていきます。

月の出、月の入りのように地平線(水平線)近くに月があるときは、月からの光が厚い大気の中を通過することになるので、赤い光だけが私達の目に届きます。そのため、月が赤っぽく見えるのです」

と言うことは、明恵上人が月を見たのは、月の出か月の入り?

隠遁生活を送っていた明恵ですが、時々は招かれて都に出向くこともあったようです。

月の出の頃に帰路についたのか、はたまた話に夢中で、月の入り頃にいとまを告げたのか?

鎌倉時代と現代とでは大きく世の中も変わりましたが、月は同じ。

今宵、月を見上げてみませんか?    (風 薫 2016.12)

 

 

 上へ↑  

 

 

 

半跏(はんか)思惟像(しゆいぞう

 

信仰心の有無に関わらず、仏像拝観は人気があるようです。

仏像巡りをする方や、また美術館、博物館の「仏像展」はいつも混んでいます。

奈良、興福寺の「阿修羅像」や法隆寺の「百済観音」等、人気のある仏像は数ありますが、「微笑みの御仏」である中宮寺の弥勒菩薩である「半跏(はんか)思惟像(しゆいぞう)」(飛鳥時代)の美しさには心を奪われる方も多いようです。「半跏」=右足を左足の上に組んで台座に座り、「思惟」=右手を頬に添えて思案している像です。

 

弥勒菩薩は、お釈迦さまが亡くなってから遠い遠い未来に民衆を救済して下さる仏陀だそうです。

飛鳥時代から1300年余り。

今の時代は弥勒菩薩の目にはどう映っているのでしょうか?  (風 薫 2016.09)