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境の名所~お寺~④

2014年02月24日 16:32

第十四番札所

  () (げん) (いん)   真言宗豊山派

境町下小橋411

ご詠歌

身を清め  小橋を渡る巡礼の

          二世安楽を  祈る御寺ぞ

 

 

 

 

 江戸時代、下小橋が一村を成していたころ、慈眼院は香取神社と共に同じ敷地内に並び、神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)の形で、人々の信仰を集めていた。

 明治に入り、寺は廃寺となる。現在その敷地には香取神社と大六天舎(だいろくてんしゃ)が鎮座している。

 慈眼院のご本尊の不道明王、札所観音の聖観世音菩薩は共にかつての境内跡に建てられた集落センター内に安置されている、

 また集落センター内には、猿島坂東観音霊場を開基なされた雄弁上人が、札所の(しるし)として安置した五輪塔(ごりんとう)位牌(いはい)も祀られている。この位牌は開基から三百年近い歳月が経っているので、保存されている例は少なくなっている。それだけに地域の方々の世代を超えて護持された観音信仰の深さが偲ばれる。

 集落センターわきには、地蔵観音、弘法大師などの石仏が並び、寺としての名残りを留めている。

 香取神社の扁額(へんがく)には「香取大神宮・正八幡宮」とあり、二社が併記されていることを示している。

 大六天社は厄除(やくよ)けや商売繁盛の神として敬われている。本殿のまわりは繊細な技巧をこらした彫刻が施され、文化財的価値の高さがうかがわれる建造物である。

 集落センターでは年に数回、十九夜講(じゅうきゅうやこう)が地域の女性たちで行われる。十九夜講と観音講は呼び方は違っても内容は同じで、観音様の慈悲によって安産を得たい、という信仰の集いである。

                                                       

 

二世(にせ)…仏教語で、前世・現世・来世のうち現世(今生(こんじょう)・この世)と来世(後生(ごしょう)・あの世)をいい、現世と来世が安楽であることを二世安楽という。

※香取神社…香取社は鹿島社と共に関東地方最古の神社で、猿島地方が属していた下総国の一の宮であるため、各村々の鎮守として祀られている例が多い。

第十五番札所

(きょう)王山(おうさん) (じん)護寺(ごじ)   (だい) (しょう) (いん)   真言宗豊山派

境町伏木2153

ご詠歌

みやまじや  木立(こだち)の中に 宝光寺

          琴の音しらぶ  松風のおと

 

 

 

 

 

大照院は徳川時代、ご朱印(しゅいん)十五石を拝領、末寺(まつじ)六十余を数える当地方屈指(くっし)の寺である。

 本尊は延命地蔵菩薩、寺宝に「木造金剛(こんごう)力士像(りきしぞう)」がある。寄木造(よせぎづく)りで、江戸時代の造形の特徴を有し、境町の文化財に指定されている。

 寺の縁起によると、平安のころ天台宗の名僧()(しん)僧都(そうず)が東国を旅した時、当地を訪れ、天満(てんまん)天神(てんじん)菅原道真(すがわらみちざね))を鎮守(ちんじゅ)として祀り、山号を教王山と称し、神護寺大照院と号した、とある。

 その(えにし)によって、寺宝に菅原道真画像がある。画像は毎年一月二十五日、道真公のご命日に檀信徒に開披するのを恒例としている。近年は受験生が合格祈願のため参拝するようになったという。

 この画像に梅の花を捧げ、美酒を供えると「尊顔たちまち色を出し、(かお)(いろ)咲けるが如く(おがま)れ給う」と寺仏にあり、神酒(みき)天神(てんじん)と呼ばれ、境町の文化財の指定を受けている。

 本堂の天井に天女(てんにょ)に囲まれた龍の絵がある。この龍が夜になると遊びに出て、農作物を荒らすので、龍の急所といわれる耳の付け根のあたりの(うろこ)を一枚とったところ災いがなくなったといわれ、「動きを止められた龍」という伝説が生まれている。

 第十五番札所の観音様は境内の朱塗りの観音堂に祀られる聖観音菩薩である。ご詠歌に宝光寺(ほうこうじ)の名があるように、もとは大照院の末寺にあったものが廃寺となったため当寺に移されたものである。        

 

 

 

寄木造(よせぎづく)り…木造彫刻の技法の一種で、一定の規則により体の各部分を別木で造り、それを寄せて一つの像にする方法。

()(しん)僧都(そうず)…平安時代中期の天台宗の僧で、源信といい、恵心院という寺に住んでいたため、恵心僧都とも呼ばれる、『往生(おうじょう)要集(ようしゅう)』を著わし、のちの浄土宗成立の基盤を築く。

第十六番札所

無量寿山神勝寺  (こん) (ごう) (いん)   真言宗豊山派

境町若林1916

ご詠歌

月影の  隔てはあらじ  老若(おいわか)

         林の花に  吹く風もなし

 

 

 

 

 

 金剛院は若林の商店街の西側にあり、隣接地に香取神社が祀られ、神仏(しんぶつ)混淆(こんこう)の名残りを留めている。金剛院の所在地である若林は、明治二十二年、伏木、百戸、一の谷、若林の各村が合併して森戸村となり、更に三十年、境町と合併した。

 金剛院の本尊は阿弥陀如来、十六番札所の聖観世音菩薩は本堂に向かって右手にある観音堂に祀られている。

金剛院は江戸時代、ご朱印三石を拝領、本寺は隣村伏木の大照院であった。

 観音巡礼の札所は秩父の三十四所を除いて全国何れの所でも三十三所となっているが、長い歳月間には札所の移動、番街の付加、掛所の新設または廃止など

様々な経緯の跡が見られる。

 金剛院の十六番札所もやはり人々の熱い観音信仰の末の所産で、隣接地域の長須の東光寺と同番という珍しい形態となっている。その理由は古いこともあり、様々に伝承されているので外縁の者にはわからないところもあるが、おおよそは次のようである。

 札所が開設された当初の十六番は若林村の観行院であった。幕末の()(えい)(明治説もあり)のころ、(かん)行院(ぎょういん)は火災にあい、第十六番の聖観音は東光寺に移された。時が経ち、若林の方々はかつての札所への追慕と信仰の高まりによって、金剛院に改めて札所を設けたということである。

                                                       

 

※秩父三十四霊場…三十三という数字は無限の数を意味し、観音様は無限の慈悲を与える事を意味している。秩父だけが三十四所であるのは、百という区切りの良い数字にするため、西国・坂東・秩父で百観音になるよう秩父に一所を加えたため。

○お(かげ)…巡礼の過程におる、良い出来事や不思議な出来事を、すべて観音様の利益(りやく)功徳(くどく)と考えて「おかげをいただいた」と感謝する。また、不都合な出来事であっても、観音様の「いましめ」というお陰の一種として自己反省のきっかけにすることが伝統とされている。

 

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